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『当院18年間のVBACの臨床的検討』NEW. 2004/10/19up!

日本産婦人科医会報(全国12,592名の産婦人科医が所属する医会)、2004年10月号「特集-前回帝王切開術後の次回分娩様式をどのようにしていますか-」に院長の『当院18年間のVBACの臨床的検討』が採用され、掲載されました。

JAOG NEWS 日本産婦人科医会報 2004年10月号
「特集-前回帝王切開術後の次回分娩様式をどのようにしていますか-」
『当院18年間のVBACの臨床的検討』埼玉県 WOMEN'S CLINIC ひらしま産婦人科 平嶋昇

 対象は、開院以来1986年7月〜2004年7月までの全分娩件数10,027件のうちの、既往帝切243例で、そのうちの131例(54%)にVBACが成功し、子宮破裂は幸いに1例もなかった。Apgarはすべて良好であった。
 1995年12月までの前半期の分娩総数4,537例のうち、68例の既往帝切があり、36例(53%)にVBACが成功した。2004年7月までの前半期の分娩総数5,490例のうち、既往帝切は175例で、そのうち101例に試験分娩し、95例に成功した。後半期の平均分娩所要時間10.4時間、平均分娩週数40週2日、平均出血量237mlであった。さらに後半期では、前例に既往帝切の理由を調べた。
 VBAC成功例95例の理由では、骨盤位26例、胎児ジストレス16例、回旋異常7例、中毒症・早剥4例、巨大児・早産3例、双胎、死産2例で、骨盤位、胎児ジストレスで44%を占めていた。不明は24例あった。
 試験分娩をしない74例は、CPD33例(44%)が断然多かった。
 幸いにして、VBACに子宮破裂は1例もなかったので、これまでの臨床経験を踏まえ、子宮破裂を回避するための私見を述べる。
 第1に、VBAC施行例を厳選すること。そのために前回の分娩、帝切状況を十分に把握する。前回深部横切開(切開創が複雑に裂けた症例、逆T字切開の症例は除く)で、縫合不全等がないことが必須条件である。既往2回帝切、前回CPD理由の症例は除外し、骨盤位、胎児ジストレス理由の既往帝切はTryするよい候補である。そこで安心してはならない。さらにその中で、骨盤レントゲン、エコーにて、CPD、回旋異常なく、児頭の進入方向、下降度良好で、軟産道条件(これが一番重要な因子で、特に子宮頚管硬く、展退不良は除く)良く、安産が予想される症例を選ぶ。難産は過強陣痛を起こしやすく、子宮破裂に繋がる。
 第2に、分娩では、自然陣痛発来を待ち、微弱陣痛には過強陣痛を起こしやすいオキシトシン、プロスタグランディンなどの薬剤を使用せず、オバタメトロ、人工破膜で対応する。子宮破裂の好発時期は分娩直前とも考えられ、吸引分娩、鉗子分娩、子宮口切開などで、分娩第2期の短縮を図る。
 以上のことを厳守すれば、VBAC成功率(因みに当院の成功率は94%)は上昇し、子宮破裂回避に繋がると考察する。

10,000人目の赤ちゃん誕生!!

昭和61年7月1日の開業以来、18年目の7月15日午前4時25分、当院で10,000人目となる赤ちゃんが院長の手で取り上げられました。


(左から)ママ、取り上げた赤ちゃんを抱く院長 立ち会ったご主人の亨様
赤ちゃんと同じ2,884gのテヂベアをプレゼント

赤ちゃんは男の子。
当院の歴史に貴重な1ページを飾ってくれたファミリーに幸多かれとお祈りいたします。
これからも毎日生まれてくる小さな命を大切に、「おかあさんとおとうさんと赤ちゃんに限りなくやさしい産院」目ざし、また新たな一歩を踏み出します。

「ある再会物語」

2004年元旦、開業以来当院で10年間働き、現在は北海道にいる看護師さんから、感激の年賀状が届きました。
それはまさに産科医冥利に尽きる内容でした。
開業間もない頃、常位胎盤早期剥離で、母児ともに救命できた赤ちゃんとの再会物語でした。 
苦労ばかりが多く、今では医学生に最も人気の無い産婦人科ですが、この時ばかりは産科医でいてよかったと思わされた瞬間でした。
以下その感動的な再会物語を、彼女からの年賀状、および「出会い」と題されたその詳細を伝える手紙、10周年記念誌に寄せられた当時の彼女のすばらしい体験談を掲載させて頂き、私が産科医を続けていく、力を与えられたことをお伝えします。

*2004年 年賀状*

「あけましておめでとうございます。お元気でおすごしでしょうか?実は、埼玉の友人の結婚式に出席した時のことで信じられない位驚いたことがありました。
  以前、ひらしま産婦人科で早期剥離で緊急OPEして助かった子がいました。とてもすくすくと大きく育っている姿をみて  涙があふれてきました。そして力の限り抱きしめた時の肌の暖かさ、柔らかさは、ひらしま産婦人科にいたからこそ体験  できた貴重な私の宝だと思います。ま
さかこんな素敵な出来事が、何年も経ってからあるとは想像しませんでした。
  あらためて縁あって、ひらしま産婦人科で学べた日々を誇りに思い感謝します。
  院長先生、お仕事大変だと思いますが、あの時、院長先生が救った小さな命が、ひまわりのように明るく、大きく輝いていたことをご報告させていただきます。これからもお体大切にますますのご活躍祈ってます。」

*出会い*

 ある日、一通の結婚式の招待状が私の手元に届きました。
 それは遠く離れた埼玉県の友人からのものでした。
 私は現在実家のある北海道に住んでおりますが、看護師になるために、10年間を埼玉県にある ひらしま産婦人科で働きながら、学校に5年間通い学びました。今回、その結婚式で体験した感動的な出会いとは、その頃そこで生まれたMちゃんとのことです。

 Mちゃんが元気な産声をあげるまでの道のりは、まさに「生と死」との狭間の壮絶なものでした。
 それは「常位胎盤早期剥離」といって子どもの命も母親の命も、診断、処置が遅れたら取り返しのつかない悲惨な結果となるものでした。母親の子宮の中では、剥がれた胎盤から計り知れない程の出血が起こり、血の海の中では、懸命に生きようともがいているMちゃんの心臓の音が手術室 に響き渡っていました。その心拍数は、時として弱々しく低下したり、また回りからの励ましの声に 答えるかのように元にもどったりの繰り返しでした。一分一秒を争う医療の現場は、母子共に命を 何とかして助けたいと願うご家族とスタッフの心の叫びとなっていました。

 それまでの私は気がつかなっかたことですが、産科が他の科と大きくちがうことがありました。
 それは他の科では命は”ひとつ”であるのに対して、産科は母親と子どもの”ふたつ”の命、時には それが’みっつ’の命、’よっつ’の命となったりします。”ひとつ”の命を救うことでも大変な医療の現場で 産科は常に複数の命と同時に向き合わねばなりません。私達スタッフは誰一人として、子どもの命は 救えなくても、母親の命だけでも救えればと、あきらめる人はいませんでした。絶対に何が何でも「母と子」の命を助けることしか考えていませんでした。そして母親には輸血が開始され、血の気の引いた 青白い不安げな表情に全身麻酔のマスクが被される直前、なお瞳だけは力強く「この子を助けて!」 と訴えかけていたのを覚えています。

 数分後、緊迫した空気の中、みんなの願いはMちゃんに届き、天の光に包まれて、Mちゃんは元気な産声をあげました。
 その産声はたくましく、力強く、そしてかわいらしく、それまでに聞いたことがない、不思議な命の尊さ いとおしさを感じ、胸の奥が熱くなったのを覚えています。
  その後Mちゃんはお母さんと一緒に元気に退院していきました。

 それから何年の月日が経ったのでしょうか・・・。
 その時のMちゃんが、結婚式場で大きく健やかに育って、私の目の前で、少し恥ずかしそうに笑って いました。花柄のワンピースに白いレースのソックスを履いている姿をみて、胸が一杯になり、涙があふれてきました。そして力の限り抱きしめた時の、肌の暖かさ、柔らかさは、あの時と少しも変わって いませんでした。ただひとつ、あの頃は、片手で軽々と抱っこできたのに、今では少しがんばらないと 抱っこが出来ないくらいに大きくそして重くなっていました。
  その重みを両腕から全身で感じ取った私は、「あの時、本当に助かって良かった。」と思う気持ちと 同時に、「この重みこそ、生きている命の証、尊さなんだ」と実感しました。

 この世に命が誕生してくる場面に立ち会うことが出来る人は限られた人であり、少なからず私も その場にいられた一人として、ひらしま産婦人科での数々の貴重な体験は、現在の私の「宝」と なっています。まさかこんな素敵な心あたたまる”出会い”が何年も経ってからあるなんて想像も していませんでした。あらためて縁あってそちらで学べた日々を誇りに思い、とても感謝しています。

 昼も夜も出産が続き、寝る時間も、食事の時間も、気の休まる時間もなく、全身全霊で、命の現場と必死に向き合っている院長先生を私は見てきました。
  あの時院長先生が救った小さな命が、ひまわりのように、明るく、大きく、立派に輝いていたことを誇りに、励みに、これからも第一線でご活躍されることを期待し、遠く離れた、北の国、北海道から祈ってます。

(荻野智子)

「10周年に寄せて」  荻野智子 (10周年記念誌:p35−38より引用 1996年)

 Women's Clinicひらしま産婦人科開院10周年おめでとうございます。
 私が、看護婦を志しこちらへきて、早7年が過ぎようとしています。
今、改めてこの7年間を振り返ると、色々な出来事が走馬灯のように、脳裏を駆け巡ります。
 「ひらしま産婦人科」で勤務する前までの私は、出産に対して知識が全くといっていい程ありませんでした。よくテレビドラマなどで見るように、急に陣痛が始まって病院へ駆け込み、あっという間に赤ちゃんが産まれると思っていました。しかし、いざ自分が出産の場に立ち会うことになると、赤ちゃんが元気に産まれるまでの道のりは、決してテレビドラマでみるような、安易な光景ではありませんでした。

 その一つとして、ある時私が勤務してまだ日が浅い夜中、寮のドアを叩く音がしました。「緊急手術なので大至急病院にきて下さい。」の声に、私はふとんからとび起きました。慌てて病院へ行き、手術室へ入るとそこには激しい陣痛を訴えている妊婦さんがいました。ベットの上で、体を左右に転がし、口からは「痛い」「痛い」とうめき声をあげていました。まだ未熟者の私は、何をしていいかわからず、院長や助産婦さんのいう通りに動いていました。何が何だかわからないが、とにかく今目の前にいる人を助けなくてはいけないんだと必死でした。そして、その時応援にきていた医師から、他の病院で立ち会った「常位胎盤早期剥離では、残念なことに母子共に亡くなったことがあった」と聞かされ、」私は異常な程の緊迫感に襲われました。すぐに帝王切開が始まり、無事に元気な赤ちゃんの産声を聞いた時、何ともいえぬ安堵感で胸があつくなったのを覚えています。

 それと同時に人間の誕生の奥深さ、難しさはいくら情報が盛んな日本でも、一般にあまり知られなさすぎるのではないかと思いました。ごく普通であたりまえのように聞こえる、生命の誕生には「おめでとうございます。元気な赤ちゃんです。」とあります。このゴールまでの道のりには、想像もつかぬ程の、さまざまな出来事が展開されていることを、骨身にしみる位実感しました。そして、その言葉にたどり着くまでには、全神経を集中させた細心の観察力や、院長とスタッフの緊密な連係システムと、信頼関係が大切であると思いました。

  また同時に出産をする母親と、その周りをとりまく家族と院長とスタッフの信頼関係も、大きな要因を占めると思います。この妊婦さんが、一命をとりとめ元気な赤ちゃんを出産できたのも、院長のこれまで培ってきた的確な瞬時の判断力と指示、そこで携わるスタッフのチームワーク、みんなが一つの目標に向かって一致団結できる絆の深さが、ひらしま産婦人科にはあるからだと思いました。

 また、某大学病院の助教授が話していた言葉に目を開かされたことがありました。それは、今の日本での出産傾向としては、安全な道を選んでいるといっていました。そこの大学病院では、初産婦の逆子はすべて帝王切開をするというのです。そして難しい技術と危険の伴う鉗子分娩もやらない方針だといっていました。そのような環境の中で教育を受けている若い医師は、教科書上での知識は持ってるが、いざ実践の場がないので技術としては習得することはできないと話していました。今、それらのことができる医師がいるとしたら、かなりの経験を積んできた熟得した技術をもつ医師であるといっていました。しかし、ここひらしま産婦人科では初産婦の逆子でも経膣分娩を行います。そこまで持っていくには、色々な角度から総合的に判断しどうするのか一番ベストなのかを院長が決定します。むやみやたらに、ただ初産婦の逆子だからといって帝王切開にもっていくという決断はしません。何故なら、逆子の赤ちゃんにだって懸命に自力で産まれようとする、力がある赤ちゃんもいると思います。また帝王切開をすることによる母体へのダメージもあります。そうした所に視点をおき、その妊婦さんや胎児にとって最もよい出産方法に導いていく、院長の考え方は素晴らしいと思います。

 出産はいつ何が急に起こるか予測がつきません。一つとしてし同じ出産はありませんし、毎回毎回が新しい臨床の場です。時として急に胎児の心音が低下し、帝王切開に持っていくだけの時間が無い時があります。母体内の胎児には帝王切開に持っていくだけの時間が命取りの時もあります。数分、数秒でも胎児にとっては、死の谷間の闇の時間でもあるといえます。このようなケースがここでもありました。すかさず院長は、鉗子分娩の準備をするようにいいました。院長の腰には、鉗子分娩用のベルトがまかれ、鉗子をひっぱるひもが縛られました。母親のお腹の上には助産婦がまたがり、お腹を押す準備が一瞬のうちにできました。

 そして陣痛と共に母親がいきみ、院長が鉗子で胎児をひっぱり、助産婦 さんがお腹の上から押し、周りのスタッフからは激励の声の中、みるみると胎児はでてきました。そして産まれた赤ちゃんは、死の谷間の闇から、あたたかい光の中で産声をあげました。文章で書くと、とてもこの時間は長いもののように感じられかと思いますが、あっという間の出来事です。もしも私が、ひらしま産婦人科に勤務していなければ、初産婦の逆子の経膣分娩も、鉗子分娩も体験することはなかったです。はば広い産科領域での、貴重な体験をできたのもここならではでないでしょうか。

 現在の日本は年々出生率が低下しているにもかかわらず、ひらしま産婦人科での出生率は年々増え続けています。私がきた頃は、月30件余りの出産があるかないかでしたが、今は月60件を超そうとしています。それは、新しい生命の誕生という輝かしい時間である出産という大事業に院長を始めスタッフ一同がどれ程の愛情を注いできたかの表われだと思います。また、食事についてもおいしくて、毎回毎回楽しみだったといわれることがあります。そんな時、私は自分が作った訳ではないのですが、うれしくてしらずしらずのうちに顔がほころんでしまいます。

 ここで学んだこと、経験したことは決して何にもかえがたい、私の宝物です。ここまでくるには、途中幾度となく、くじけそうになりました。正直な所、働きながら学校へ通う日々はねむくて、つらい時もありました。働かないで学校だけ通う人を、うらやましく思ったこともありました。しかし、学校で学んだことをすぐに臨床の場で活かせる、ということを知った時、自分は幸せなんだと思いました。今日、私は看護婦として従事していますが、ここまでこれたのもひらしま産婦人科で出会った方々の、温かい言葉や励ましがあったからです。この場を借りて心より深く感謝いたします。

 おしまいに、10周年の節目を契機として今日まで培われた高度な技術、充実した施設また信頼関係などが今後さらに活かされ、大きく発展されることを願っています。それと同時に私も、冷静な観察眼と豊かな愛情を持って、ひらしま産婦人科の一助になれるように努力していきます。

*常位胎盤早期剥離とは*

 常位胎盤早期剥離(以下早剥)は1分1秒を争う最も緊急を要し,児の死亡率は20〜50%、母体死亡率1〜2%と極めてハイリスクな疾患です。
  赤ちゃんが生まれる前に胎盤が子宮から剥がれる疾患で、50%近く剥がれると赤ちゃんは死に至り、その時はDIC:(disseminated intravascular coagulation播種性血管内凝固症候群ー血小板AT−V、などが減少し、血液が固まらなくなり、出血性ショックとなる)は、必発で(自験例より)、母体は危険な状態で、輸液、輸血、DICの治療を平行して行い、一刻も早い児の娩出を行う。

 従来は、妊娠中毒症が最も大きな早剥の原因と考えられていたが、自験例15例の早剥の内妊娠中毒症は2例のみで、その他の13例は原因不明であった。そこで、炎症(絨毛羊膜炎ー赤ちゃんを包んでいる膜の炎症ー)が大きな原因かもしれないと考え、その原因である、膣炎、頚管炎の治療を積極的に行った結果、近年当院では早剥は減少している。

 早剥の典型的な症状は、激しい持続する腹痛、外出血、胎児仮死、胎児死亡などであるが、軽症の場合は、切迫早産と症状が酷似しているため鑑別が困難であるので、常に早剥を念頭においておかなければならない。早剥は早産例に多く、当院統計中15例中、10例が早産であった。最近では絨毛羊膜炎が早剥の原因として注目されている。

 その意味でもエラスターゼ検査などを施行し、早期に膣炎、頚管炎、絨毛羊膜炎の治療をすることが大切です。おなかの張り具合、おりものの様子が変わった、赤ちゃんの動きが少なくなったなどをいち早く察知する、自己管理が大事です。

EーTOWN CLINIC 2000:8月「胎児が未成熟のまま生み出す早産を予防する  平嶋昇 より引用

*付記

  常位胎盤早期剥離については、平嶋昇「(4)当院10年間の常位胎盤早期剥離15例の臨床的  検討並びに反復早剥の経験」10周年記念誌:p93〜96 1996年を参照下さい。

「(4)10年間の常位胎盤早期剥離15例の臨床的検討並びに反復早剥の経験」平嶋 昇
10周年記念誌:p93−96より引用 1996年

表1 Women's Clinicひらしま産婦人科10年間の常位胎盤早期剥離の症例

1
昭和61
2
62
3
63
4
平1
5
2
6
3
7
4
8
5
9
6
10
7
0 0 0 1 1 0 5 3 2 3 15

 最初の症例は平成元年5月11日37才、1経産、中毒症なし、妊娠35週5日、深夜の症例です。下腹痛持続、外出血中量、エコーで、胎盤剥離像を認め、緊急帝切となる。午前2時07分、小児医療センター立ち合いで2,098gの男児出産、アプガー6−8点、児の経過良好で、5月27日、2,248gで退院。出血量1,500ml、新鮮血1,000ml輸血。FOY投与、経過良好で術後9日目で退院。

 平成4年は早剥5例と多い年でした。その内2例、来院時胎児の心音なく、重症例でした。
 症例K・H、平成4年10月15日、午前8時50分、22才0経産、妊娠37週3日、胎児心音なく、緊急帝切施行午前9時36分3,342gの男児出産、DIC合併、出血量3,700ml、新鮮血輸血3,000ml、母親術后経過良好で9日目に退院。この妊婦さんは、2年後の平成6年10月26日妊娠33週1日で、再度早剥を起こすも、今度は、児を救命することが出来ました。
本人が前回の事があったので、持続する下腹痛に神経質になっており、すぐに来院したのが良い結果を招きました。早剥は、いかに早く病院に
来院するかが大切で、母児の予後にも正比例します。日頃、妊婦さんにこの様な症状が起きたら、直ちに来院する様スタッフ一同に徹底させて
おく事が院長の責任と考えます。

 平成5年は3例、内1例は胎児死亡で、15症例中、唯一経膣分娩した症例です。
 症例 M・O、平成5年午前5時30分、持続する下腹痛、外出血で入院、25才1経産、胎児の心音なく妊娠37週4日、子宮口7pで、経産という事で直ちに破膜して経膣分娩の方針とした。午前6時30分、2,790gの男児出産、子宮腔内に出血500ml、DIC合併、新鮮血1,600ml輸血、経過良好で、3日目に退院した。

 平成6年2例、内1例は前述した反復早剥の症例で児救命した症例です。
 症例K・H、24才1経産、前回早剥の既往、10月26日午後1時、持続する下腹痛、ごく少量の外出血で来院、分娩監視装置で、正常な陣痛波認められず、高さの低い連続的子宮波があり、下腹痛増強し、外出血が増加し、小児医療センター立ち会いのもと緊急帝切、午後3時35分、2,086gの女児出産、翌日小児医療センターより、軽度のR.D.Sのみで元気で、本日抜管予定、明日よりミルク開始予定とのTELあり、安心した。出血量2,000mlでFFP1,000ml新鮮血1,000ml輸血、経過良好で、術后9日目に退院。
 他の1例は、症例Y・H、33才2経産、34週0日、骨盤位、午前8時頃強度の下腹痛で来院、すでに胎児の心音なく緊急帝切午前9時15分、1,646gの女児出産。出血量3,000ml、DIC合併し、FFP1,000ml、輸血も3,000ml施行、DIC改善し、術後9日目に退院。

 平成7年度は、3例で、母子共に全員無事であった。

 まとめ
 当院10年間分娩数4,537例中、15例の(0.33%)常位胎盤早期剥離を経験した。内4例の胎児死亡があり、全て、DIC合併し、各々輸血3,000ml、3,000ml、1,600ml、1,000ml、その他、FFP、FOY処置を要した。母親は全て救命できたが、胎児死亡で来院した時、当然の事ながら、D.I.Cは必発と考えられ、全員集合の合令の必要と、一刻も早い胎児娩出が必要である。
 妊娠中毒症合併の症例は2例のみで、原因不明の13例を経験し、中毒症合併以外の早剥の多い事に注意する必要がある。同時に反復早剥症例を経験し、前回早剥の症例は、反復する頻度が非常に高い(約20倍)事がわかった。
 早剥の予防法のない現時点では、初期症状発来時に早急に来院することが、母児の予後を良くする事になり、妊婦さんへの日頃の注意が一番大切と考えられる。

表2 早剥15例の妊娠週数と死産数並びに初産・経産の分類

週数
例数
死産数
初産数
1経産数
2経産数
23-28
0
 
 
 
 
29
1
0
 
1
 
30
0
 
 
 
 
31
0
 
 
 
 
32
1
0
 
1
 
33
1
0
 
1※
 
34
1
1
 
 
 
35
3
1
1
1
1
36
3
0
1
1
1
37
4
2
3※
1※※
 
38
1
0
1
 
 
39〜
0
 
 
 
 
15
4
6
6
2

注1 ※は反復早剥の症例
注2 ※※は経膣分娩の症例
他は全て帝王切開で、子宮全摘の症例はない

上尾看護専門学校の当院における今年の実習体験学習が無事終了しました。

当院院長が上尾看専の『母性学』および『女性生殖器』講師を勤めている関係で、毎年看護学生さん達が、当院で1週間の実習を積みます。
今年は3月に、2年生6名が、6月と7月に3年生12名が(母性看護学実習)に入り、各々褥婦さん一人づつを受け持ち、看護計画をたて、毎日患者さんと触れあい、レポートを書いて、発表いたしました。
そして、10月には、1年生6名が、臨地実習(診療所見学)で実習を行いました。
先日そのレポートが届きましたので、掲載いたします。

学びと感想
 医療施設というと大規模な総合病院のイメージが強かったが今回、地域密着型であるひらしま産婦人科を見学させていただいて、そのイメージが大きく変わった。例えば、分娩室を「誕生室」と呼ぶことや大規模な病院にはない温かい雰囲気があったり、胎教の音楽のながれる検査室で癒しを感じられました。また、スタッフの方々の妊産婦の方への関わり方がとても印象的で、切迫早産や過期妊娠で不安そうにしている妊婦の方々への何気ないやさしい声がけ、初めての出産を終えたが上手に授乳を出来ずに心配そうにしている褥婦の方にただ「頑張ろう」ではなく、少しずつ母子ともにおっぱいをあげたり、飲むことが出来るようになっていると話したり、新生児が「上手に飲むまで待ってあげよう。おっぱいは、ちゃんと出ていますよ」という声かけがとても印象に残っていて、母子のコミュニケーションのとり方の微笑ましさや、スタッフの方のやさしさや声かけがとても暖かく感じられました。
 外来では、問診、エコー、内診を見学させていただきましたが、妊産褥婦の方の受診の多さ、忙しさにとても驚かされました。それにも関わらず、医師、看護師の方々などスタッフの方々は、常に笑顔で温かく妊産褥婦の方を迎えられていました。また、スタッフ間でのチームワークが良く、検査の準備から終了まで手順が良く妊産褥婦の方の「安全、安楽」が守られていて、しっかりとプライバシーも守られていると感じました。
 今回の実習で、人と人との関わり合いやコミュニケーションのとり方は、とても自然で温かくよい勉強になりました。親身になって妊産褥婦の方のことを考え、出来る限り自然な形で母子共に安全を守ること。家庭的な場であるからこそ出来ること。ひらしま産婦人科は自然分娩をめざすということで、それが強く見られました。これらのことが実現出来るのが、地域密着型の一次医療の強み(利点)なのだと、この実習から学ぶことが出来ました。この良い体験を、これから看護師を目指す上で生かしていけると良いと思いました。

 ひらしま産婦人科医院の院長先生、直接御指導して下さいました加藤保健師助産師様、
スタッフの皆様、 ありがとうございました。


平成15年度6月30日〜7月3日
上尾看護専門学校3年生6名と母性看護実習のみなさんと村上先生(前列中央)

 これからもたくさんの知識の習得と、一人でも多くの患者さんと間近に接する体験を通して、常に患者さんの身になって、看護の手をさしのべ、心を通わせあえる、【ひまわり】(上尾看専のSCHOOL IDENTITY)のような看護師さんになって下さい。応援いたします。

Women's Clinic
埼玉県上尾市,さいたま市,伊奈町,桶川市,蓮田市の産婦人科 ひらしま産婦人科
〒362-0021 埼玉県上尾市原市1464
TEL 048-722-1103  FAX 048-722-1146

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