最新情報、PHOTO MONTHRY DIARY 59号
フォト・マンスリー ダイアリー 平成30年9月号 「孫 一翔」誕生物語
「天使の微笑み」
平成30年9月6日(木)PM2:32
孫が我が手の中で産声あげた。
時はさかのぼって、昭和59年 我が家に3男が産まれた。
浜田病院勤務医時代のこと。我が子は我が手でが私の望みで、
この時も、他の手を借りずに、夫婦二人での出産。
あれから33年の時を経て、
平成30年、3男の子、私の“孫”を我が手でとりあげた。
誕生室に高らかに産声が響いた時、心底ほっとした。
5カ月頃の3男
洋州を抱く院長
スーパーハイリスク妊婦の、バルーン状のお腹に
この1ヶ月悩み抜いた末、予定日1週間超えの日、
最後の手段で、陣痛促進剤使用。
帝王切開を視野に入れての決断。
4時間後、臍の緒が巻きついた状態の孫を経腟分娩で娩出。
力強い産声を聞いた時、やっと緊張から解放され、歓びが湧きあがった。
誕生室のTV画面には、今朝北海道を襲った震度7の地震情報がテロップで流されていた。
3男のお嫁さんの実家は、被害の大きかった厚真の隣「苫小牧」。
ご両親の安否を確認しつつ、無事お産を終え、この日お産に寄り添ってくれた小沢・松林(自らも妊婦)ナースに感謝。
松林・小沢ナースと
Vサイン
入院期間中、新米パパになった3男に、沐浴指導をしてくれたのは、30年前、まだ看護学生だった「原」主任。
彼女は偶然にもお嫁さんと同郷、苫小牧出身。
当時まだ2才だった3男を、毎晩お風呂に入れ、
ナース室で寝かしつけてくれた恩人。
私は、喜寿にして、孫のお産を託され、我が子のお産とは、また別の重圧のかかったお産だった。
50年間の産科医人生の中でも、貴重な体験をさせてもらった。
「一翔」の誕生で、孫も5人になった。
君たちは 「夢」
いつも 「希望」
わたくしたちの 「未来」
「幸」多かれと祈る
付記:
この日、31年間愛用した、旧館解体工事が始まった。
その場所では、16,000人の「赤ちゃん誕生ドラマ」が日々くりひろげられた。
どれ一つとして同じお産はなく、ハラハラ、ドキドキ、ワクワク、朝・昼・真夜中 24時間、365日 休むことなく
「ひらしま産院物語」が紡がれた。
旧館のプレート
2018年7月、“RE-BORN”。
この1年間は特に、苦労の連続、分刻みのスケジュールはいつか秒刻みとなって、心身のゆっくり休む間もない過酷な日々でした。
しかし、旧館で産まれた赤ちゃんが、成人して、原市に戻って、当院を出産場所に選んでくれることに、“生きがい”と“やってて良かった”との思いがエネルギーとなって、10年~30年勤続してくれている、スタッフの支えがあって、頑張れた。
思い出一杯の旧館に別れを告げ、記念の「しんさつしつ」プレートを外し、新しい診察室の入口にそっと掲げた。
埼玉県上尾市の産婦人科、ひらしま産婦人科 WEBサイトメニュー since 2001.1.1
母体保護法指定医、社保・国保取扱医 日本産婦人科学会専門医
医療法人社団 昇龍会
〒362-0021 埼玉県上尾市原市1464 FAX 048-722-1146