ひらしま産婦人科 PHOTO MONTHRY DIARY 第43号
2007年>> フォトニュース
2008年>> 新春号 / 3月・甲子園観戦 / 5月・ゴールデンウィーク / 7月・開院22周年
7月・東奔西走記 / 8月特大号・アラスカ旅行記-1 / 2
9月・日本の秋を楽しむ / 11月・晩秋の巻 / フォトエッセー特別編「シルバーの手習い」 /年末号
2009年>> 新春特別号 / 3月・シンポジウム編 / 4月・花まつり編 / 5月・「虹」編
6月・「紅」編 / 7月・「ゆりかご」編/ 8月・「華火」編
9月・「スイス巡礼の旅」編-1/2/3/11月・「読書の秋」編
2010年>> 1月・「年頭所感」編 / 2月・冬から春へ/ 3月・国会へ陳情に行く編
4月・お花見に行く編 / 6月・父の日&逆子編/ 7・8月・「海の絵」編
9・10月「魅惑のスペイン 弾丸ツアーの巻」-1/ 2 / 3
2011年>> 1月・年賀状 / 2月・映画鑑賞の巻 / 3月・ドキュメント 東日本大震災 IN ハライチ
4月・上野動物園にパンダに会いに行くの巻
5・6月〜初孫 平嶋 湊(みなと)誕生!〜
ミーナ君アルバム 第1楽章
7・8月「海の幸&逆子と柔道」編 / 8月付録・ミーナ君アルバム第2楽章「お食い初め儀式」
10月「実りの秋」編 / 「ミーナ君 アルバム」 第3楽章 6か月児はこんなことができるのだ
2011年>> 1月・年賀状 / ミーナのお正月 / 付録2 平成23年1月〜12月骨盤位分娩成績
2月・キネマ旬報賞映画鑑賞会&表彰式 / 3月「卒業45年記念同窓会 IN 東京」の巻 / 4月「今年の桜」の巻
4月「さだまさし還暦コンサート in さいたまスーパーアリーナ 4月10日」 5月「ミーナの初節句 & ボク 満1歳になりました!!」 / 5月「嵐の5月」 / 6月「祈り」
9月「2 DAYS IN 小笠原」 / 10月付録「ミーナ歩く・走る」
付録2 平成23年1月〜12月 骨盤位分娩成績
11例の骨盤位経膣分娩に成功
12例(初産臀位 7例 経産臀位 4例 経産複臀位 1例)トライアルし、
11例(92%)成功した。
不成功1例は前述の12月30日の症例。
妊娠41週0 初産臀位軟産道強靭で、扁平仙骨、3,746gの症例であった。
頚管展退20%、開大1cm、オバタメトロ使用したが、3日間メトロ脱出せず、
分娩停止で、緊急帝切となった。
成功11例のうち、オバタメトロ8例(73%)に使用。
その内訳は、初産 臀位4例、経産4例(臀位3例 複臀位1例
この症例はメトロ使用により、臀位になった。
注入量初回350ml、3時間半後、50ml追加した。)
11例中4例(初産3例 経産1例は、他院で帝王切開を言い渡され、
経膣分娩希望により、当院にて出産)
アプガースコアは全て良好であった。
臍帯動脈血、PH 全て7.2以上であった。
骨盤最短前後径と大横径の差は、2.4cmが1例 他の10例は全て2.8p以上。
反屈位の症例はなかった。
後続児頭娩出困難例はなく、後続児頭娩出時間は、9秒1例 他は全て5秒以内であった。
選択帝切は4例あり内2例は前回帝切他の2例の内1例は、
妊娠35週 斜位に近い足位、臍帯下垂、他の1例は、扁平仙骨、軟産道強靭。
経膣分娩不成功の1例は、(1)軟産道強靭 (2)扁平仙骨 (3)児体重3,746g
当院の分娩管理に合致している。
(22年間の当院における骨盤位の分娩管理−とくにオバタメトロ使用の視点から
産婦人科治療99:539〜548 2,009)
*考察*
オバタメトロにより、
(1)複臀位が臀位になる。
(2)深夜帯の症例は1例もなく、不測の事態の起こる娩出期を人手のある日中に誘導できる。 オバタメトロは計画分娩として有用である。
(3)臍帯下垂 扁平仙骨、軟産道強靭はトライアルすべきでない。
近年本邦では、骨盤位=帝王切開となり、経膣分娩を行う
施設はほとんどなくなった。
本来、出産は経膣分娩が自然であり、母体へのリスクの高い
不必要な帝王切開は避けるべきである。
厳密な適応と条件を守れば、オバタメトロ使用により、
母子ともに安全な骨盤位経膣分娩は可能である。
当院では、開院以来25年半、臀位におけるオバタメトロ使用による臍帯脱出は1例もなく、
経産臀位は全て経膣分娩に成功した。
骨盤位経膣分娩では、あらゆる産科技術の習得が必要である。
(鉗子分娩・吸引分娩・宮口切開・人工破膜・ 経膣分娩可能かの判断
分娩誘発 分娩促進の管理 臍帯脱出の予防や処置 難産道強靭に対する処置
厳重な分娩監視・緊急帝王切開への備え、スタッフの教育など
産科学の集大成が求められる。)
骨盤位 即 帝王切開では、以上の産科技術習得の機会がなくなり、
頭位分娩においても、帝王切開選択が増加する。
付録3 平成23年(1月〜12月)
VBACの成績
18例のVBAC に 成功
20例にトライアルし、18例成功した。(90%)
41例の前回帝王切開があり、内30例(内2例は前2回帝切)(73%)も
他院での帝王切開症例で、今回VBAC希望にて当院来院した。
他院からの30例中14例(前2回 帝切を除くと 50%)VBACに成功
当院11例中4例にトライアルし、全て成功した。
不成功の2症例は他院からのであった。
過強陣痛の副作用のある、オキシトシン使用は1例もなかった。
分娩誘発も1例もなかった。
子宮破裂は1例もなかった。
*考察*
(1) VBACでは、子宮破裂予防のために、分娩誘発およびオキシトシン使用
は避けるべきである。
(2) 自然陣痛発来を待ち、オキシトシン使用しなくても90%VBACに成功
した。 (参考文献
「当院におけるVBACの分娩管理−特に子宮破裂予防の視点から−」
産婦人科治療91:569〜575 2005)
記 : 平成24年1月15日
松本清一先生「お別れの会」に出席の日
松本清一先生は、私の群馬大学医学部時代の恩師で、
当時ノーベル賞受賞者発表の時期になると、『月経』の
松本氏か、『血液型発見』の井関氏かと噂されたほどの
世界的医学者でした。
松本教授の講義は、人生の指針についての貴重な話しが主で、
産婦人科講義の記憶はあまりありません。
「医学生時代は単なるスタート地点で、医者は一生勉強である。」
と諭されました。
私がポリクリではじめて直に先生に接した時、兄弟で同学年で
あったため、「どちらが兄貴だ」と尋ねられ、「私です。」と
答えると、笑ってそのようには見えないとおっしゃられました。
「内診所見を述べよ」と質問され、弟が完璧に答え、
私は、「わかりません」と答えても微笑するだけで、説教がましい
ことは何もおっしゃいませんでした。
人生はわからないもので、優等生の弟は外科に進み、劣等生の
私が産婦人科に進んだのも、優しかった松本先生のお陰かもしれません。
卒業後、東京浜田病院時代に、ECFMGでのアメリカ留学に際して、
推薦状が必要となり、小畑英介院長に相談したところ、偶然にも小畑院長
と松本先生は、東大時代の同級生とのことで、松本教授に推薦をご依頼下さり、
RECOMMENDATIONをいただけました。
帰国後、お礼にも伺わず、不義理を重ねておりましたが、
仙台で学会の際、偶然新幹線で、お会いして、お礼を述べたところ、
よい勉強になりましたねと変わらぬ微笑を浮かべておりました。
私にとって「人生の師であり、大恩人」でした。
先生の遺影に向かって、ご冥福をお祈りしてきました。
記 : 丸山和雄先生のこと
私が上尾で開業の際、大変お世話になった丸山和雄先生の
訃報も昨年6月突然飛び込んでまいりました。
奇しくも、丸山先生は、松本先生の愛弟子でした。
丸山先生が10周年記念誌に寄稿して下さった
以下の文章は、私の宝として、大切に胸にしまってあります。
(「産科医の技術は逆子の処置で決まるとまで言われますが、先生は、
この秘術にて数々の骨盤位の分娩を見事に処理なさって来られました。
殆ど、帝王切開にならず産婦にとっては本当に有り難い存在の医師です。
(注)平嶋先生は知る人ぞ知る、学生時代は柔道の猛者でしたが、
「内また崩し」は柔道の技の一つで、豪快な大技が無いと掛かりません。
先生の産婦人科医としての羨望に耐えないのは技術学問ばかりでなく、
現在も保持されている抜群の体力、気力であります。
この二つは産科医に最も必要な資質です。」)
(WOMEN‘CLINIC ひらしま産婦人科10周年記念誌
“5000人へのおめでとう” より 抜粋)
昨年は二人の我が人生の大恩人を失った年となりました。
お二人は天国から、
「産婦人科医 奮起せよ!
逞しく 復興を遂げよ」
とエールを送ってくれているように思われます。
フクシマで起こった出来事の数々を(福島 大野病院は第一原発から3キロでした。)
決して忘れる事なく、
『 ノー モア フクシマ 』
新しい年が、日本の復興に歩を進める真に 「昇龍の年」となりますように。
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